レッツ・アンデス プロフィール
私達 レッツ・アンデスは中南米音楽―フォルクローレを通して仙台市泉区加茂市民センターを拠点に、地域とのコミュニケーション作りを目的として活動しています。
2013年秋ごろレッツ・アンデスの母体となるユニットが誕生。
翌年3月、ケーナ・チャランゴ(ギター)・パーカッションの3人編成で楽器店主催のライブ・イベントに出演。初めてのライブを敢行する。
この時バンド名をレッツ・アンデスに決定。
たまたま同じイベントに参加していた者がギタリストとしてバンドに加わり4人編成のフォルクローレ・バンドとして本格的に始動。
この年(2014年)は加茂地区のお祭りや文化祭、泉区のお祭りいず・ちゅう祭、とっておきの音楽祭(仙台・東松島)への出演など精力的に演奏活動を行いながら、11月には結成1周年記念コンサートを加茂市民センターにて開催。
今年(2015年)に入り1月の泉パークタウン・ゴルフ倶楽部クラブハウスでの演奏会を皮切りに、島村楽器主催のライブ・イベント アコースティツク・パラダイス東北大会に出演。
5月には仙台勝山館6Fスカーレットプラザにて歌と演奏を披露。バンドの参加メンバーも増えつつあり今後の展開に期待しながら、週に1度の練習に意欲的に取り組んでいます。
レッツ・アンデス メンバー紹介
後藤 博
レッツ・アンデスの産みの親
ケーナを始めて10年目に念願のバンドを結成。誠実で真面目な人柄でメンバーの信頼も厚い。
1950年宮城県出身。
ケーナ、サンポーニャ担当
庄子 巖
大地のようなおおらかさと豪快さでバンドを牽引するパーカッショニスト。
1953年仙台市出身
バンドの代表を務める。
伊賀 一夫
1946年台湾出身
その飄々とした風貌の如く全国を転々とする。
度重なる引越しの末、仙台市に落着く。
音楽への洞察鋭くバンドのご意見番でもある。
チャランゴ・ギターを担当
小林 政治
1957年東京都出身。
2014年ギタリストとしてバンドへ加入。
蓄積された経験を生かしコンサートマスターとして貢献する。
楽器演奏の他、音響・機材も担当
荒川 順子
メンバーの後藤とは幼馴染!
バンドのMCを担当。
明るく陽気な歌声で仙台同様愛好会のメンバーとしても活動中
Edward(エドワード)
1974年ペルー、リマ市出身。
ヨーロッパに渡り現在日本に在住。
2015年バンドに加入。
スペイン語によるパフォーマンスを披露。
メンバー募集
南米音楽に興味の有る方。
年齢・楽器演奏歴不問です。
お気軽にお問合せ下さい。bandmaster@lets-andes.com
演奏曲目紹介
風とケーナのロマンス
風とケーナのロマンスは、ギタリスト ホセ・ラミレス・トーレス作曲によるフォルクローレの定番曲。ケーナ愛好者にも人気が高い……とある伝説によればケーナという楽器には身分違いの恋に苦しんだ二人の男女の哀しい物語があるようだ。むかしむかし 15世紀前後に栄えたインカ帝国にはケーナという美しい皇女がいたそうな。年頃のケーナは皇族を守る青年の兵士に恋をしたが身分の違いに二人の恋は引き裂かれ、兵士は遠くの地へ追放されてしまった。恋人を失った悲しみのあまり皇女ケーナは病を患いそのまま命を落としてしまう。しかし、彼女の死は追放された青年には知らされることはなかった・・・数年後、青年が皇女ケーナの地に戻ってくるとそこで初めて彼女の死を知った青年は大変嘆き悲しみ彼女の墓を訪ねると、彼女の遺骨が風を受けてまるですすり泣くようにもの悲しい音を立てていたという青年は、風を受けて悲しく鳴くその骨を拾い上げ、笛のように見立てながら皇女ケーナとの叶わなかった恋をしみじみと思いながら彼女への弔いの歌を捧げるのであった……
灰色の瞳
灰色の瞳は、フォルクローレ界の大御所として世界的に名を馳せたアルゼンチンの 音楽家ウニャ・ラモス(1933-2014)の作曲による作品 ある情報によると、作詞:テイト・ペリスとされており 灰色の瞳にはもともと 歌詞があった可能性があるが、今日一般的に手にするCDなどでは歌詞のない インストルメンタル版しか見当たらない。 灰色の瞳がリリースされた当時、フォルクローレはシャンソンを中心とした フランスの音楽界を主な舞台として世界に発信されていた。作者もパリを中心に 音楽活動を展開していた。この曲に目をつけたのが、日本のシャンソン歌手 加藤登紀子で彼女自身の手で日本語の歌詞が訳詞され、男性シャンソン歌手 長谷川きよしとのデュエットで1974年にリリースされた。
花祭り
花祭り(ウマウアケーニョ)はエドムンド・サルディバールが1970年代に発表たアンデスのフォルクローレ。
歌詞の内容は「ウマウアカの谷にカーニバルが来るよ。チョリータさん」といったもの。
日本では「花祭り」「春祭り」などのタイトルで知られアンデス地方のフォルクローレを代表する曲として、「コンドルは飛んでいく」とともに親しまれている。
「ウマウアケーニョ」とは、スペイン語で「ウマウアカの(人や物)」という意味。
ウマウアカは、アルゼンチン北部にある町の名前で、アルゼンチンでは珍しいアイマラ族が多く住んでいる。
このため「ウマウアケーニョ」はアイマラ族が多く住むボリビアやペルーのフォルクローレとして紹介される事も多いという。
ちなみに、曲のジャンルとしては「カルナバリート」と呼ばれる事から「ウマウアケーニョ」ではなく「カルバナリート」と呼称されることがある。
カルナバリート(小さなカルナバル=謝肉祭)
南アメリカのアルティカプラーノからプーナまでの地域の伝統的な舞踏であり宗教的な祝祭との関係のなかで実践されている。
現在の舞踏の様式はインディヘナとスペインの植民地文化のシンクレティズムの表現されたものである。
セニョーラ・チッチェーラ
この曲の詳細は定かでないが、曲調は非常に明るく楽しい歌である。
ある男が毎晩チッチェーラおばさんの所へお酒(チチャ)を買いに来る・・・
チチャ売りの奥さん お酒を売ってくださいな
チチャがなければ 何でもいいよ ねぇ、お酒売りの奥さん
歌詞の内容はおよそこんな感じ
この男の目的はお酒なのか 奥さんなのか?
一説によるとアルコール依存症の男の話だとか…?
せっせと奥さんの店に通いなんとか気を引こうと酒を求めるどこか愚かで哀れな男の姿がほほえましい。
チチャとは・・・
中南米で飲用するトウモロコシの酒。
チチャは共同労働の機会に大量に飲み、大地や山の精霊への捧げものとしても欠かせない。
チチャは本来クエバ(現在のパナマ)の原住民が飲用したトウモロコシ酒の名称であった。
スペイン人は異なる地域のトウモロコシ酒、さらには別の原料による同類の酒を記述する一般名称として用いるようになり今日にいたっている。